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第8話「探究者」

 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。

 彼の時代のことを、誰が話すことができようか。

 彼のいのちは地上から取り去られたのである。

 ‐使徒8章33節‐


 辺境の大地。蒼き森に閉ざされたドリークランの地。我々は森と暮らすことを善とし営みを続けている。森とは自然であり自然とは世界である。人とは他の獣や虫などと同等に自然を循環させる命の運び手の一部にしか過ぎない。他の生物と唯一の違いがあるとすれば人には神を信仰することで発生する力(フェイス)という特性があり、僕はこの機構が自然と相反する歪な機構ではないかと考えていて……。

 とそこまで書き記した所で背中に小さな重りがのしかかる。

「おとうさーん」

 その娘は僕のすべてだ。

「おとうさん、いつもむずかしいべんきょうばかりしてる」

 ミアンがすねたように顎を肩にのせてきた。僕が彼女の頭をしずしずと撫で始めると、もっと撫でてもいいけど扱いは丁寧にするようにといった表情で僕の手を受け入れてくれた。

「ごめんよ、ミアン」

「おとうさんきょうは木の実(クナム)をひろいにいくってやくそくした」

「ミアン。お父さんは研究で疲れているのよ」

 書斎に入ってきたルノファラがたしなめるとミアンは不満げに頬を膨らませる。

「でもぉ、おとうさんやくそくしたもん」

「ミアン」

「いいよ、ルノファラ。そうだったね。どれ、今から拾いにいこうか」

「ほんとぉ!?」

「あなた」

「今の時期に採れる木の実(クナム)だと蒼天樹(イシュ)や紅蓮樹(ドマ)がいいだろう」

「あたし、どまのみだいすきっ!」

「うん。それじゃあ支度をしておいで」

「はーい!」

 ミアンがとことこと書斎から出るので、僕もその後に続こうとした。

「あなた。少しは休んで」

「平気だよ。ちょうど気分転換もしたかった所だしさ」

 気分転換したかったのは本当のことだ。だけど最近身体を酷使しているのも本当。

「研究、上手くいっていないの?」

「いやその逆だよ。上手くいきすぎている」

 懸念はそこにあった。自分の研究があまりにもハマりすぎていて作業の手が止まらないのだ。まるで元から誰かが答えを準備していてその道を進まされているような。そんな得体の知れない不安に襲われながら研究に没頭していっている。おそらくだが僕が今触れている部分はこの世界の禁忌に分類される領域だ。これ以上足を踏み入れば暴いてはならない真理にまで到達し、その代償として……。

 ふと妻の暖かな手に頬を包まれる。

「そんなに怯えないでドイル。大丈夫よ」

「ルノファラ」

「あなたの研究はきっとみんなの役に立つ。私も支えるから」

「ああ」

 唇を重ねた。そうして彼女の温もりを感じていると不思議と先ほどまで胸を襲っていた不安も消え去っていくのを自覚する。

「あーーーーっ!!」

 ミアンの悲鳴に近い叫びが響き渡る。

「おかあさんだけずるいーっ! あたしもおとうさんとちゅーするーーー!」

「だめよ、今はお母さんがするの」

「やだやだぁ!」

「二人とも。頭をそんなに引っ張らないでくれ」

 穏やかな日常。妻と娘に支えられて研究を没頭する生活には幸福しかない。神を信仰する理念は持ち合わせていなかったが、僕たちの命を育み守ってくれる自然に対して感謝の気持ちが溢れていた。

 扉の呼び鈴をノックする音が響く。

「あら、誰かしら」

「僕が出るよ」

 慌てて出向こうとするルノファラを制して、僕は玄関へと向かう。その時に気付くべきだった。幸福とは不幸と表裏一体のもので、永遠に続く幸福などありはしないということに。いや、あるいは気付いていたのかもしれない。この世界の歪みを知覚した時点でいつかはこうなってしまうことを。

「はい」

 玄関の扉を開く。

 扉の外には2メイルに近い巨躯の男が立っていた。剣と盾を携えた騎士。盾は常人の上半身を隠せるほどの大きさをした長方形の盾。聖盾(シルト)と呼ばれる教皇国の聖騎士たちが愛用する武具だ。それもこの男の巨体だと程よいサイズに見えてしまう。

 僕はあまりにも見事な巨躯に見惚れて言葉を失っていたことに気付く。

「あ、あなたは」

「失礼。私は教皇国第一師団聖騎士団長(パープスト・アインス・ゲレヒティカイト)レメク・ミッドウルフ。貴殿がドイル・シー・ダーウィンで間違いないか」

「あ、は、はい」

 それが彼との初めての出会い。生涯の友となる男、レメク・ミッドウルフとの邂逅であった。

 レメク・ミッドウルフは寡黙だが心の豊かな男だった。

 異端を審問しにきたと説明するレメクに僕はついにこの日がやってきたか、たとえこの身がどうなろうとも妻と娘だけは逃がさなければと顔色を真っ青にして覚悟を決めていれば、重く落ち着いた声で誤解を諭されたのである。

「すべての異端が悪だと断じるのは傲慢でしかない」

 レメクは教皇国の中でもかなり特殊な思想の持主だと理解できた。彼は現状の教皇国の在り方に疑問を抱えており、教皇国が異端と断じる宗派や思想を自らの足で見聞しているのだという。

 教皇国聖騎士団長(パープスト・ゲレヒティカイト)。その中でも第一師団(アインス)といえば教皇直属の選ばれし者にしか許されない地位だ。教皇国に対して絶対の忠誠を誓っているようなそんな男がどうしてこんな辺境の地へとやってきたのか純粋に興味があった。

「レメク殿はどうしてこの地に? 異端といっても他にも多くの場所があったでしょう」

「貴殿の噂を耳にした」

「僕の?」

「ああ」

 彼の話を要約するとドリークランの森には賢者が住んでいると伝え聞いたらしい。賢者は自然の力(フェイス)を利用してありとあらゆる困難に打ち勝つ英知を授けてくれると。巷ではもっぱらの噂になっていたのだという。

「僕が賢者? そんな器じゃないよ」

「自然の力(フェイス)とは一体どのようなものなのだ」

「そんな大層なものじゃない。君たち、いや、僕も人間に分類されるんだがともかくとして人間が使用する神への信仰心を原料とした力(フェイス)はとても強力なものだ。それは分かるかな」

 レメクは黙ってうなずく。僕は説明を続けた。

「人の力(フェイス)は道具を強化し、火や雷を発生させ、あろうことか時や精神といった概念にまで干渉することを許されている。これは明らかなる世界の異端だ」

「世界の異端」

「そう。世界の摂理は僕たちが考えている以上に秩序と混沌を行ったり来たりしながら複雑精緻に調和をとっている。人の信仰、力(フェイス)はその摂理を無視した超越的な法則で成り立っている。これは明らかな異端といえるだろう」

 レメクはまさか自分の方が異端だと断じられるとは思っていなかったのだろう。目を見開いてしかし怒った様子もなく静かに話を聞いていた。

「自然の力(フェイス)とは人の信仰心のような無茶なものじゃない。自然が元から備えている摂理に則って恩恵を拝借する。それだけのことなんだ」

 僕は紅蓮樹(ドマ)の実を金属皿の上に置き、火を灯した。油分を多く含む紅蓮樹の実は大きく炎を燃やしやがて煙を上げながら鎮まる。

「僕たちは元々こういった自然の力(フェイス)から知恵を授かり生活を豊かにしてきた。だというのに今ではどこの国でも信仰心に頼り切っている。一体どうして?いつから世界は変わってしまったのか?僕はそれが知りたい」

「…………」

 レメクは黙っている。腕を組み何事か考えているのか長い沈黙のあとにようやく口を開いた。

「………………人の力(フェイス)は便利だ」

 彼のいうことは分かる。僕が今起こした火など人の力(フェイス)があれば信仰心を燃料として容易く起こすことができる。

「信仰心は無限の可能性を秘める希望の英知だと?」

「いや」

 彼は首を横に振るう。

「私は神を信じない」

 それは教皇国第一師団聖騎士団長(パープスト・アインス・ゲレヒティカイト)が口にしたセリフだとは思えなかった。レメクは聖言を唱えると掌から炎を灯してみせた。

「神とは己の内に宿るもの。この力はとても歪だ」

 歪。

 彼がまったく自分と同じ思考を持っている相手だと気づいた。だからこそレメクは極秘裏に自分の足で世界を見て回っているのだと。

「おとうさん」

 客間へ可愛らしい声が届いた。

「おきゃくさま、おちゃをおもちしました」

 ミアンが小さな椀と紅茶を載せたお盆を必死に運んでいる。

「お、おい、ミアン、大丈夫か?」

「へーき!」

 鼻息を荒くさせながら机にお茶を載せる。ミアンは巨躯のレメクに怯えた様子もなく明るい笑顔で礼をした。

「どうぞ、おくちにあえばよいですが」

「ありがとう」

 レメクは太い指で陶器を摘みお茶をすする。

「美味しいよ」

「えへへっ!」

 ミアンは満足したのかぱたぱたと足を鳴らして出ていった。

「あ、こら」

「可愛らしいご令嬢だ」

「やんちゃで困っていますよ」

「私にも息子がいる」

 レメクは遠くを見るように目を細めて話した。

「名はノアという。血は繋がっていないが紛れもなく私の息子だ。まだほんの幼子だが才に溢れている。ゆえに苦悩することになるだろう、それが心配でな」

 今までの中で一番に口数が多かった。

「ドイル殿、貴殿に協力して欲しい」

 レメクはまっすぐとこちらを見つめて問う。

「私と共にこの世界の異端を調べてもらえないだろうか」

 それが十五年前の話。今となっては何もかもが懐かしい思い出の物語だ。あの時彼の問いに対する答えを変えていたら、こんな事態にはならずに済んだのだろうか。そんな詮無いことを考えてしまう自分が呪わしい。

「あなた」

 僕を呼ぶ声がする。

 背中にもたれかかる女の重さと甘ったるい香水の匂い。

「ルゥか」

「研究は順調ですか」

「ああ」

「そう。こちらも順調でしたよ。ゼーヴィンに捲いた新種はしっかりと鬼人に適合してくれました」

「そうか」

「お喜びになられないのですね」

「結果が分かればそれでいい」

 五大災厄である鬼人病の患者に種子が適合した。成功か失敗か。盤面が一つ進んだのか退がったのかの違い。その結果さえ分かればのちの研究に差し支えるものは一切ない。

「あの町で大勢の人が死にましたよ」

「だからどうした」

「あそこはあなたの生まれ故郷でしょう?何にも思う所はないのですか?」

 耳元で囁く挑発的な声。

「ない」

 わずかに過去の出来事が頭をよぎったが今はもうそれもどうでもいい。僕に必要なのは研究結果だけだ。この世界の真理を解き明かす為の鍵を揃える。その為なら人の命ごときの犠牲など惜しんでいる時ではない。

「ふふっ、あなたってとてもクール」

 ルゥは舐るように微笑む。色香を振りまくこの女は研究に没頭する僕を飽きることもなくこうして嬲る。一体何が楽しいのかは分からないが転生者にして使徒である太陽ルゥ。彼女が僕に協力してくれるというのなら全て些末事だ。

 そう。もはや何もかもが些事でしかない。

「大終焉。ねぇ、ドイル? あなたは世界が終わるというのにずっとこんな研究を続けるの?」

「世界が死を望むなら死なせてやればいい」

 手を止めることなく僕は答える。

「五大災厄。八人の使徒。大終焉。お前たちの茶番に付き合ってやる気はない。私はお前らの魂を使ってこの世界から抜け出す」

 それが僕の導き出した答え。真理に触れた代償と共に犠牲を取り返す為の答えであった。たとえ万人から罵られようとも最愛のものたちから非難されようとも必ず取り戻す。どんな犠牲を払うことになったとしても。僕は僕の目的を果たすだろう。

「そうね、私も応援しているわ。あなた」

 真理の探究者にして禁忌を犯す者。

 森の賢者、ドイル・シー・ダーウィン。

 そして彼を黒き太陽で支え愛するは色欲の使徒、太陽ルゥ。

 二人は煉獄の道を突き進みながらこの世の果てを目指していく。