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第3話「月瞳会」

 彼らはまた、バアル・ペオルにつき従い、死者へのいけにえを食べた。

 こうして、その行いによって御怒りを引き起こし、彼らの間に神罰が下った。

 ‐詩篇106章28,29節‐


 潮風の匂いが辺りを駆け抜ける。

 生き物の死が詰まったそれを嗅ぐとどうしようもなく身体が疼いた。はしたなく欲情する己の肉体の興奮を抑えながらシルドラは港町ゼーヴィンの町中を歩く。町は静まり返っている。シルドラが来訪したことを知れば大勢の信徒たちが群がってもおかしくなかったがそうはならなかった。

「静かだね」

 シルドラの隣を歩く少女が話す。

 少女の名は天空ホルスという。

 隼の頭を模した被り物をかぶった褐色の少女。煌びやかな装飾品ときめ細やかな模様の施された腰巻を装備している。

 シルドラはホルスの方を見ずに答える。

「ああ、人の気配がまるでない」

 シルドラには左目がなかった。眼球がなく虚ろになった眼窩を隠すように前髪を伸ばし顔の左側を隠しているが、潮風が吹くと髪が揺れてその虚ろがぽっかりと顔を覗かせる。

「セルジオの所にいくか」

 二人は閑散とした港町の中を歩き周囲でひと際大きな店構えの家にたどり着いた。肉の解体所となっているらしいその店の厨房をくぐり中庭へと出る。慣れた足取りである。

 中庭には無数の死体が散乱していた。肥大化した鬼人たちが風穴を開けられた状態で放置され肉と臓物の腐敗した臭いが立ち込めており、鴉や鼠が肉をついばみ蛆が沸いている。ホルスは口元を抑えてこみ上げる吐き気を必死に堪えるが、シルドラは意に介した様子もなく倉庫へと向かった。

 内部から爆散した倉庫は天井や壁を砕き、中に鎮座していたはずの祭具や捧げものは瓦礫に呑まれて見る影もなかった。残骸の山となった地面には捧げものであった左眼球がつぶれかけの状態で転がっておりシルドラはその眼球を口の中で転がす。

「……っぷ、最悪の鮮度だ」

 眼球を吐き出して悪態をつく。

「食い逃したか」

 左の眼球には神が宿る。

 月瞳会(ウアジェト)。

 シルドラが教祖を務める教団「月瞳会」は左目を信仰の対象とし、己の瞳や他者の瞳を供物として捧げることを神への絶対的な忠誠だと強く信じていた。

「……やっぱりおかしいよ」

 ホルスは眼球を漁るシルドラに声をかけた。

「左目に神が宿るなんてそんなの迷信だ」

 ホルスの言っていることは正しい。ごく平凡な日本という国で生活していた天空ホルスはこちらの世界へ転生したのちに、病に蝕まれ左目を失った少女と出会った。彼女を励ます為にホルスは自分のいた世界の神話を語って聞かせた。果たして少女はホルスの話す左目を失った隼の神についての物語。冥界渡り、巡礼の旅、聖獣との邂逅。左目の復活に希望を見出したのである。

「迷信でもいいんだよ、ホルス」

 成長した少女は眼球を嚥下した。

「この世界ではどんなまやかしも力(フェイス)になる。私が左目に神が宿ると信じるならお前を神だと奉るならそれが真実だ」

事実として。

 月瞳会の教祖となりしシルドラの肉体には驚異的な変化が起きていた。

「シルドラ」

「だから足りない。もっと月瞳会の教徒を増やさないといけない。もっと左目を集めないといけないっていうのに……これじゃあ大損だ」

「え」

 シルドラがホルスの身体を抱えた。ホルスのいた場所に向かって何人もの人間が襲い掛かる。襲い掛かってきたのは中庭で腐乱していた死体たちであった。

 ホルスは怯えた顔つきでそれらを眺めた。身体中に穴が空き肉をついばまれて骨は水分を失い干からびている。まともに動けるような状態ではない。が、腐乱した死体の内部から樹木が蠢く様が垣間見える。どうやらその蠢く樹木が腐った身体を補強しているらしい。

 死体が襲い掛かってきた。

 死体とはいえ元は鬼人(デモンズ)の肉体である。腕や足。肉体の一部を黒く肥大化させながら群れを成してシルドラへと殺到する。

 シルドラは全身を黒く肥大化させた。

 鬼人病の末期症状にも酷似した姿。人間の骨格や強度の限界を超えて誕生した黒鉄の巨人が群がる鬼人を握りつぶした。子供と大人の喧嘩。いいや、これでは虫を叩き潰したのとそう変わらないだろう。

 幼少の頃鬼人病に侵されたシルドラはホルスとの出会いを通じて力(フェイス)に目覚めた。結果、彼女は重度の鬼人病患者でありながら鬼人病を自由自在に操る術とそれに耐えうる肉体を獲得したのである。

 再生者シルドラ。

 それが月瞳会の教祖たる彼女の名である。

「ホルス、無事か」

 シルドラが声を掛けるとホルスは不安そうな顔を浮かべた。

「僕は大丈夫」

「ならいい。お前に怪我でもされたら大変だ」

 安堵の息をこぼす黒鉄の巨人。彼女の安堵は果たして何に対するものなのか。幼少の頃から彼女を知っているホルスにももう分からない。

「ここはもうだめだな」

 巨人は辺りを見回して呟く。家屋の屋根をゆうに超える高さから町を見下ろせば、樹木に寄生された町の住民たちが集結している姿が確認できた。

「埋葬もされずに死体が転がっているわけだ。町全域が苗床になってやがる」

「どうするの?」

「逃げる。月瞳会の拠点としては良かったが潮時だな」

 シルドラはホルスを腕に抱える為、彼女を迎えるように恭しく手のひらを地面に下げた。

「もちろん一緒についてきてくれるよな?」

「……そういうこと。僕が離れられないって分かっていうんだ。もう諦めたよ」

 使徒には通常の食事や寿命などの概念は一切適用されない。

 代わりに使徒(プレイヤー)は伴侶となるパートナーの信仰心によって存在を維持される。

 ホルスとシルドラの関係でいえばホルスはシルドラから神だと崇められることによってその信仰心を糧にして現界することを許されているのだ。

 そして伴侶となるパートナーの利点は器の上限解放である。使徒と契約することによってパートナーは通常の人間では供給しきれない程の信仰心を享受できるようになる。例外として信仰器と呼ばれる教団の象徴(シンボル)などに力を注ぐという手もあるが、シルドラは己の身に力を浴びせることによって鬼人病を克服していた。

 二人は樹木に汚染された町を跳び退っていく。

 再生者シルドラ。

 諦観する使徒、天空ホルス。

 両者の気持ちは相まみれないまま、大終焉は近づいてくる。

「あ、樹木もそうだけど。鬼人どもに風穴を空けた奴。そいつの左目を抉らないとな」

 黒鉄の巨人は潮風の中を駆け抜けてまだ見ぬ獣への殺意を芽吹かせた。