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第7話「統べる者」

 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。

 先の事を思い出されず、心に上ることもない。

 ‐イザヤ書65章17節‐


 1人の男がいた。

 男は干桃と呼ばれる貧しい土地で育った集落民でしかなかった。集落では湖で取れる魚を獲り、森で狩りをして、何とか集落全体の食糧を確保する。その日その日を生き延びるので精いっぱいの小さな集落である。時折国という所から武装した兵士たちが見回りにくるだけで、いったい自分がどこの誰様に仕えているかなど考える余地もない生活をしていた。

 ある時彼は不思議な少女と出会う。少女は見慣れぬ服装をしていて男にはまるで分からない知識を披露した。兵士たちがやってくる国とも違う遥か彼方の世界の物語を語り聞かせてくれる。そこでは多くの国があり文化があり言葉があり戦争があり信仰があると。一つ一つの意味を噛み砕くのに恐ろしく労力を費やした。だが心地よくもあった。獣や魚を獲るのとは異なる生きる糧を得た気がした。男は語り聞かせている少女も驚いてしまうほどの速度でみるみるうちに学習していく。

 歴史・学問・宗教・経済・政治いずれも深い理解を示す。前世で教師として勤務していた少女はそれが面白くて更に多くの知識を彼に授けた。

 そして少女は言った。

「それでお兄さんは……」


 それから十五年の歳月が過ぎる。

 そのたったの十五年間で世界西部を統治するロルム教皇国と匹敵するほどの大国。

 世界東部を支配する帝國が誕生したのである。恐ろしい速度で東部周辺国を呑み下した帝國の急成長の要因としては古くから群立する国々を統一してまとめ上げに成功したことがあげられる。

 それこそが「帝國文化」と「帝國幣」の導入。

バラバラだった文化を吸収し新たな共通文化と通貨を創り上げたのである。それがどれほどの難行だったことか。古今東西の長所を取り入れた画期的な帝國文化は帝國の支配圏を急速に拡げる結果に繋がった。

 帝國中枢部。

 桃城京。

 かつて湖と森しかなかった干桃の地には帝國文化の粋を集結させた煌びやかな首都が建設されていた。

「帝様」

 誰かの呼ぶ声が聞こえる。

「ん……」

「帝様、御休みの所申し訳ありません」

 帝は瞳を開けると見慣れた御玉座からの景色が広がっていた。

「俺はどのくらい眠っていた」

「ほんの五分ほどかと」

「そうか。五分も眠ってしまったか」

 懐かしい夢だった。まだ何も知らず狩りをして暮らしていた頃の思い出。後悔でも軽蔑でもなくわずかに感じる郷愁に似た想いに思わず苦笑がもれる。

「良き夢だった」

「夢ですか」

「ああ。さてミコトよ。俺に用事があるのだろう」

「はっ、ロルムからの使者が帝様にご挨拶をしたいとお越しになられております」

「ロルムか」

 帝はしばし考えるように頬杖をつく。

「よい。通せ」

「はっ」

 ミコトが御玉座の間の外で待機している兵士に合図し、ロルムの使者を呼ばせにいく。その間に帝はミコトへ問う。

「ここでロルムの使者とはどう考える?」

「和平やご機嫌伺いなら凡手ですね。宣戦布告なら悪手。恭順の意を示してくるならば良手ですが今のロルムでそれはないでしょう」

「ふむ」

「前教皇ベネディクト1世なら使者すら送ってきませんね」

「あのご老台はとかく我が國を嫌っていたからな」

「嫌われていたのは帝様だけかと」

「はっはっ」

 帝は会席の度に顔を真っ赤にさせて唾を飛ばしながら罵倒してくる老人の姿と声を思い出す。お前の所は機構に頼りすぎじゃ、お前がいないと何もできない国じゃ、人の心がない、つまらん、うちではよ洗礼を受けんかなどなど。さんざんに説教された記憶しかない。口汚く頭の固いじじいだったが同じ大国を治める長として決して嫌いではない相手であった。

 思い出している間にロルムの使者がやってきた。

 戦棍(メイス)と聖盾(シルト)を携えた聖騎士の男が1人。

 血に塗れた姿で単身乗り込んできたのである。

 男は恭しく一礼する。

「帝様。お初お目にかかります。私、教皇国第三師団聖騎士団長(パープスト・ドゥライ・ゲレヒティカイト)ヨーゼフ・アルダドルフと申します」

 教皇国を守護する聖騎士。苛烈な修行と訓練に耐え、神を崇め、神の教えを実現する鉄血の騎士。その騎士たちを束ねる十の騎士長が教皇国聖騎士団長(パープスト・ゲレヒティカイト)。それぞれが教典に記される十の戒律の極地をそれぞれに習得しているといわれている。帝はおのれの知識の本をめくりながら、ヨーゼフを値踏みした。

「……おい」

 帝は尋ねた。

「外の兵士はどうした?」

「殺しました」

 思わず舌打ちがでる。目の前の男の狂行を読めなかった自分自身に対して。ガンメイ、ソウカ、アドウ、イノ。優秀な兵ばかりだったのだ。まったくもって悪手を打ったのはおのれではないか。

 帝は立ち上がり御玉台から飛び降りた。

「帝様っ!」

 ミコトの悲鳴に近い制止を無視してヨーゼフの方へずんずん近付いていく。

「俺を殺しにきたのなら最初から言え」

「言えばここまで通してくれましたか」

「無論だ、馬鹿者め」

 その叱責を聞いてヨーゼフは意表を突かれた。

「意外ですね。部下の死を悼んでいらっしゃるのですか」

「憤っているのだ。貴様にも己にも。無駄に人を殺めて何とする」

「人は死ぬものです」

「死ぬから殺してよいのか。ロルム教典第38章12節、隣人を愛せず隣人を尊べないものには愛を受け取る資格はなくなればこそ良き隣人であるべき」

「はは、教典にも精通しているのですね」

「来い」

 ヨーゼフの射程距離にまで入った帝。これだけ接近していればどんな力(フェイス)であろうとも命中するだろう。ヨーゼフが力を発動させた。それは戦棍による闘法。力による防御を突破して肉体を破砕する貫通武具。鍛え上げられた聖騎士の一撃は狙いをたがうことなく帝の頭部へと襲い掛かり。

「…………どういうことです」

 帝は戦棍の殴打を受けて卒倒した。派手な音を立てて地面へと這いつくばる帝。

「なぜ避けない。いえ、その前にどうして力(フェイス)を」

「俺に力(フェイス)などない」

 帝は這いつくばったまま血を吐き出す。

「あるのは統治者としての法のみ。そもそも人に力(フェイス)などいらぬのだ」

 嘘だ。力(フェイス)とは言葉通りの力だ。人は刃物を握っていてその刃物を使わずにいられるか?

 否。使わないではいられない。所有する力が優れていれば優れているほど、その力を使わずにいられないがゆえに人は人なのだから。

「あり得ない。力を持たない人間など。それがあまつさえ貴方のような上に立つ者が」

「上に立つ者なら力を持つべきか。それも正しい答えだ。だが俺は力などなくてもこの国を治めていく。人が人を人たらしめる法によって俺は世界を救う」

 それこそが帝國が強大になった最大の要因。

 神ではなく。信仰ではなく。法によって国を治める。

 転生者である使徒、猿田ミコトから彼方の世界の話を聞いた末に導き出した答えがそれだった。

 気付かぬうちにヨーゼフは一歩足を退いていた。いや、そもそもが最初の一撃で帝の頭部を粉砕することも可能であったはず。だというのにヨーゼフはそれこそ何か見えない力によって帝への攻撃を緩めてしまっていた。果たしてこの男を殺すことが平和へと繋がるのだろうか。あの新たな教皇と第一師団長(アインス)に命令されるがまま殺害をすることが、本当に自らが信じてきた正義の道なのか。迷いが生まれれば動きも鈍る。ミコトの報せによって駆けつけた警護兵たちが隙だらけのヨーゼフを捕らえる。彼は帝の方を見つめていたが、やがて牢屋へと連行されていった。

「大丈夫ですか?」

 ミコトが医師に治療される帝の容態を窺うと帝は機嫌悪そうに答える。

「大丈夫なものか。ガンメイたちが死んだ。くそっ」

「私は帝様の容態を聞いているんです」

「俺なら平気だ。ああ、くそっ、ロルムがこんな馬鹿な真似をしてくるとは。予定を変更せねばならん。ブレツを呼び戻さねば。それからクルスに伝書を送って……」

 ぶつぶつと呟き続ける帝の様子にミコトや医師たちが呆れのため息をこぼす。

 稀代の王にして尊大不遜な麒麟児。

 帝國を統べる者、帝。

 彼の師であり参謀を務めるは使徒、猿田ミコト。

 参戦した使徒とパートナーの中で唯一、力(フェイス)を使わない男は失血と考えすぎの末に気絶して意識を失った。