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第5話「時の狩人」

 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。

 あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。

 ‐ダニエル書12章13節‐


 バフ・イ・シアフと呼ばれる森林を内包した高地がある。

 低地から登ってくる潮風が高地に向かっていくにつれ湿度を伴い山岳の広がるバフ・イ・シアフに水気(アーブ)をもたらす。遠く海から運ばれてきた強い水気によって豊かな植物相を築き上げる。乾いた大地に君臨する濃厚な森林地帯。数メイル先すら視界がかすむほどの木々。近辺の民族から黒い庭園(バウ・イ・シアフ)と呼ばれるのも頷ける自然の剛建ぶりである。

 そしてこの土地にはもう一つ、呼称されるものがいる。

 パルサである。

 この日のバフ・イ・シアフには異端の獣が生れ落ちようとしていた。その獣は何の変哲もない銅鹿(レー)のつがいから産まれた仔であった。その日は最近この地帯に勢力を伸ばしてきたロルム聖騎士団の末端兵士たちが拠点を設けようとバフ・イ・シアフの木々を伐採しているところであった。兵士たちは近辺の民族が忠告する言葉も忘れてバフ・イ・シアフの奥へと足を踏み入れ、そしてその一団とつがいの縄張りが運悪くぶつかった。銅鹿にとって兵士たちは見たことのない外敵であり、兵士たちにとって銅鹿は疲れる任務の合間で発見したちょうどいいご馳走でしかなかった。

 銅鹿の仔だけが逃げ延びた。つがいが仔を逃がそうと必死に兵士たちの注意を惹いたからだ。仔は親鹿の焼ける肉の匂いを背に嗅ぎながら思った。どうしたらこいつらを殺すことができるだろうか、と。何者かわからぬこの世界を創りし者に問いを投げかけた。

 その思考が。獣らしからぬ憎しみの感情が。異端の力を引き寄せる。

 獣が人と変わらぬ感情を持つこと。

 それによって獣でありながら信仰心を抱くもの。神に訴え神の救いを求めるもの。

 すなわち力(フェイス)を得た獣。

 彼らこそが異獣。

 人類から五大災厄と呼ばれし破壊の担い手である。

 力(フェイス)を得た銅鹿の仔は兵士たちの拠点に戻ると、兵士たちの首をことごとく捩じり落した。細く研いだ枝に胴体と縊り落した首を串刺しにして晒し上げた。不可視の念動力に目覚めた異獣は森を抜けて人々の暮らす集落へと向かっていく。父母を食い殺した生き物を駆逐する為に。生きる為でも食べる為でもなくただ胸を煮えたぎらせる復讐心を満たす為だけに。奴らを皆殺す。

 パルサたちは走っていた。

 銅鹿の縄張りに足を踏み入れたロルム兵の痕跡。今まで感じたことがないほどの強烈な憎悪と力。凶悪な異獣が生まれたことをすぐに察知した。

 パルサたちの足は速い。木々の枝を道にして獣よりも器用にそして素早く森を駆け抜ける。まるで自分たちだけ時を進めているかのように機敏だ。兵士たちの死体があった場所から力の主を追っていく。さいわい異獣には集落の数里前で追いつくことができた。

 パルサたちは矢筈をつがえる。音を置き去りにするような力(フェイス)のこもった高速の矢が幾重にも射たれる。矢は異獣に到達する前に空中で動きを停止させた。

 異獣の瞳がパルサたちを捉える。怒りに黒く染まった異獣の瞳はやはり恐ろしい。長い年月異獣を討伐するものとして代々を過ごしてきたパルサたちでも恐怖だけは拭い去れない。

 矢が反射して返ってきた。

 避けようと枝から跳ぶパルサたちの身体が宙で固まり矢が深々と突き刺さる。強力な念動力。力(フェイス)によって自らの肉体や道具の時間流を操作できる時の狩人(パルサー)でもまるで歯が立たないほどに、その異獣の怒りは凄まじかった。

 地に落ちてうずくまるパルサたちに鋭く研がれた枝が襲い掛かる。

 はずだった。

 地面に穿たれる枝槍。

 今その場にいたはずの獲物たちの姿がない。

 周囲を見回す必要もなく離れた場所に獲物たちは避難していた。

 どうやってその位置に。

 異獣は疑問に感じる。

 恐怖に顔をゆがませる獲物の中で一匹だけ。

 仲間を守るように己へ立ち塞がる奴がいた。

 美しい金色の女だった。色のない世界で生まれたはずの異獣がその人間を視て確かにそう思う。その女が悲しそうなまなざしでこちらを見ている。異獣はわずかに萎えそうになる己が憎悪の炎を強く燃え滾らせた。研ぎ澄まされた枝の槍を投げ放つ。女は姿を消す。視界の端に女が現れた。槍では遅い。不可視の念動波を飛ばした。それも避けられた。何度も念動波を飛ばしたがすべて避けられる。攻撃の度に女の姿は消え見当もつかぬ場所に姿を現した。

 外敵の動きを捉えることに特化した己の瞳でも認識できない高速の動き。

 ならば動けぬほどに押し潰すのみ。

 力を集結させる。身の内に漲る憎悪を形にして放つ。

 不可視だったはずの念動波は禍々しいほどの黒き渦となって女の全周囲を取り囲んだ。

 黒き渦は念動力の塊。渦に触れた木々が一瞬にして砕け散る。もはや金色の女に逃げ場はない。

「時よ」

 女が呟いた。

 獣にはその言葉の意味は分からない。

「止まりなさい」

 気づいた時には。

 女の射放つ矢が瞳を突き破り、頭蓋を砕いていた。

 黒き渦の檻を無傷で越えていったいどうやって。異獣の疑問に答えるものはいない。代わりに己がこの人間に負けて死ぬのだということを理解した。

「ごめんなさい」

 荒く息を乱す己に女は手をかざしてくる。

「安らかに。森へおかえり」

 身の内を焼き焦がしていた炎が徐々に弱まるのを感じる。もう少し早くこの人間に会っていれば、父母が出会ったのがあの人間どもではなく彼女だったらどれほどに良かったか。そんな無意味なありもしない未来を夢想しながら幼き小鹿は息を引き取った。

「その子、死んだの?」

 そう尋ねるのは炎髪の少女、拝火ゾロ子だった。

「……ええ」

「恐ろしい力(フェイス)。仲間にできたら戦力になったかも」

 時の狩人たちに崇められる使徒、拝火ゾロ子は残念そうにつぶやく。彼女の脳内では異獣を使役して戦力として運用する算段が組み立てられていた。

「異獣を仲間になどできません」

 だが異獣狩りを生業とするパルサにとって異獣は狩るべき対象でしかない。そしておそらくは相手にとっても決して相まみれない天敵。その関係性は変わらないし変えてはいけないと思う。

「スーリ。あまり落ち込んではダメ」

「ええ」

 スーリと呼ばれた金髪の女性は頷いた。

「あなたは優しすぎる。一族を束ねる姫としてもっと強く傲慢に。たくさんの信仰心を集めてもらわないと」

 ゾロ子は自分の視界の端に表示されている数字をちらりと確認した。

「信仰心は信者の数で決まる。パルサを崇める人々を増やさないといつまでも力だって増えない」

「そうですね」

「今までは異獣を退治して周りの集落から崇められるだけで良かった。だけどもう時代が違う」

「大終焉が近づいてきた」

「そう。私たちが生き残るには他の使徒を倒さないといけない。それにはもっと信者を増やして信仰心を集めないと」

「私にそのような手腕」

「大丈夫」

 卑下するスーリにゾロ子は腕を組み、胸を張った。

「スーリには時を止める力があるじゃない」

 己や触れた道具の時間流を操作する時の狩人でもスーリは特別だった。世界に滂沱として流れて溢れる時の概念をその瞳で捉えて操ることができる。時の姫スーリは時を支配する。

 完全時間軸(ル・ル・ル・サァト)。

 時の世界では彼女だけが動くことを許される。

「でも私不安なんです」

 スーリは憂いを帯びた目で息絶えた小鹿をなでる。

「異獣を殺すことしか能のない女がこの世界の何を救えるのかと」

「その考えは愚かだと思う。視野が狭い。卑下しすぎ。あなた美人なんだから世に出て自分の功績を誇んなさいよ」

「はぁ」

 ゾロ子は転生前の世界ではオカマバーで働いていたのでこういうのはがんがん言うタイプであった。

「綺麗で強くて悪い敵を倒してくれる美女なんてスーパーヒーローよ」

「ひいろう?」

「正義の味方って意味」

「なるほど」

 時折ゾロ子は良くわからないことを言ってくるがスーリは何だかその言葉の響きが少しだけ気に入った。

「ひいろう、ですか。私もなれるでしょうか」

「大丈夫よ! あなたたちの神である私が保証してあげる!」

 異獣狩りを生業とするパルサの長。

 時の姫スーリ。

 彼女を励まし戦略を立てるのは炎髪の使徒、拝火ゾロ子。

 二人はパルサたちを従えて大終焉を迎えようとする世界へと打って出る。

「それに。あなたはあの灰狼(ヴォルフ)を絶滅させるほどの腕前でしょ。謙遜なんて似合わないわ」

 ゾロ子が口にした変えることのできない過去が言の葉となって世界に溶ける。時が遡ることはなくそして彼女たちはいまだに知らない。灰狼が絶滅したこの世にはまだ灰の魂を継ぐ獣がいることを。

第5話「時の狩人」: テキスト
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